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日本グリーフ専門士協会 ブログ

グリーフケアとスピリチュアルケアの本質

スピリチュアルケアの本質
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日本グリーフ専門士協会の井手敏郞です。

一昨年、移民を受け入れるか否かの混乱の中、ドイツを旅しました。

はじめてのヨーロッパはとても刺激で、 今回はスピリチュアルケアの大家であり、神父でもあるウァルデマール・キッペス先生の引率のもとドイツの南から北まで縦断しました。

南はシュツットガルトからウルムへも行きました。
ウルムはアインシュタインの生誕地。一度足を運びたかったところです。

 

魂の旅を求めて

アウグスブルクでは、プロテスタント教会の施設に泊めて頂く貴重な経験もしました。

このときに旅行では、エイズホスピス1カ所、子供ホスピス2カ所在宅ケアホスピス1カ所、精神病院1カ所、大学病院2カ所、老人ホーム1カ所、その他修道院、研修センター……と10カ所以上を訪問し研修を受けました。

ドイツでは毎日、死と向き合う人と触れ合いました。
私は特定の信仰をもっていませんが、参加者の多くがクリスチャンだったこともあり、皆さんと一緒に、日々の瞑想をかかさず、自分の内面を掘り下げる機会をもらいました。

人によっては魅力的な旅に見えないかもしれません。

ですが、スピリチュアルな感覚を掴むことを最重要課題とするほかでは得られない時間を過ごしたのです。

旅の途中、キッペス先生は私たちに、「遊びにきたのではないんです」「買い物のことなど考えないように」というご指摘を何度され、今回の旅が遊びではないと繰り返し教えていただいたことを思い出します。

高速道路をバスで走っているときも「この高速道路をスピリチュアルで捉えるとどう思うか」(おそらく意味がわからないですよね)そんな哲学的な問いを何度も突きつけられました。

 

スピリチュアルは超自然現象だけか

スピリチュアルというと人によってさまざまな捉え方をするかもしれません。霊、魂、占い、UFO、超自然現象などを思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。それらもスピリチュアルといえるかもしれませんが、とても狭い捉え方だと感じます。

『生きがいの創造』の著書で知られるカウンセラー飯田史彦氏は、スピリチュアル・ケアの基本方針とは、人生のあらゆる事象に意味や価値を見出すことができるような、適切な思考法や有益な情報を効果的に伝えることによって、対象者が自分自身で、「心の免疫力」や「心の自己治癒力」を高めていくよう導くことであると語っています。

医療や心理療法は、3つの健康の定義(肉体、精神的、社会的健康)で行われています。

そんな中、1999年、WHO(世界保健機構)はスピリチュアルな健康を健康定義としてくわえようとしたことで注目を集めました。

ところがWHO執行理事会で総会提案とすることが賛成22反対0棄権8で決まったものの、その後、WHO総会で、現在の健康定義は適切に機能しており、審議の緊急性が他の案件にくらべて低いなどの理由で、採択は見送りとなりました。

とはいえ、緩和ケアの実施にあたって人間として生きることが持つスピリチュアルな側面を認識し、重視すべきであると訴えられたことは意味があったと思います。

実際WHOではスピリチュアルについて次のように定義しています。

「スピリチュアル」とは、人間として生きることに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人々にとって、「生きていること」が持つスピリチュアルな側面には宗教的な因子が含まれているが、「スピリチュアル」は「宗教的」とは同じ意味ではない。スピリチュアルな因子は、身体的、心理的、社会的因子を包含した、人間の「生」の全体像を構成する一因子とみることができ、生きている意味や目的についての関心や懸念と関わっている場合が多い。

(WHO「ガンの緩和ケアに関する専門委員会報告」1983年)

 

自分の気持ちと現状のズレ

スピリチュアルケアがケアをする痛み(スピリチュアルペイン)とは自分の気持ちと現状にズレが生じたことによる心の痛みや葛藤です。

病気にはなれば、元気になろうとします。怪我をした場合も、元の生活に戻れるようになんらかの治療や努力をするでしょう。それを目指すのが医療といえるとかもしれません。

しかし終末期になれば、その回復は見込めないことがあります。身体の回復だけのみを目指せば、最後には絶望が待っています。身体は回復しないことを前提に、自分の気持ちに折り合いをつけ、これまでの人生の意味を再認識し、認められるようになることが人生の最後の課題ともいえます。

 

エイズホスピスの女性の出迎え

先のドイツでエイズホスピスに行った時、とても心に残ったことがあります。

回復の見込みのないエイズ患者である女性が、私たち日本人訪問者のために、とびっきりの
オシャレをして迎えてくれたことです。

いつ死を迎えるかわからない状況の中、彼女は日本のホスピスの雰囲気からは想像もできないほど、化粧がびっくりするほど濃く(悪い意味ではありません)、目の覚めるような明るい服を着てこう言われたのです。

「日本からあなたたちが来るのを本当に楽しみに待っていたのよ」

と出迎えてくれた姿は、どんな人であっても、どんな状況であっても、「今を生きる」ことができることを教えてくれました。

グリーフケアを考えたとき、亡くなった人が物理的に戻ってこない状況は、どのように努力したところで変わることはありません。

ですが、目にはもう見えなくなったとしても、その人が自分の心の中に生きていると感じることはできます。その人のこれまでの人生を尊重し感謝することはできます。

そして、たとえ大切な人がこの世を去ったととしても、私たちは自分の人生に意味を見いだし、今を精一杯生きることはできると思うのです。

それは決して簡単なことではないかもしれません。

しかし、そのための支援こそがグリーフケアであり、その目指すところはスピリチュアルケアと同じだと感じます。

そういう意味で、グリーフケアとスピリチュアルケアは同じものです。

生きるということは何か生産的なことをすることだという考え方もあります。

たしかに元気なときはそれも大事です。しかしあなたが何かができることに価値を置いているうちはスピリチュアルケアはできないでしょう。

スピリチュアルケアでは「何もできなくてもいい」「ただいるだけで素晴らしい」と感じられることやどんな状態にも意味や価値を見出せることが問われていると思います。

ドイツのスピリチュアルな旅を終え、私の内面は確実に変わりました。ようやく自分が目指したいグリーフケアとその先が見えてきたのです。

「寄り添う」という言葉を繰り返し使いながら、自分が分かっていなかったと気づかされたことです。他人には「今が大事」といいながら、「今を生きていない」自分を反省しました。

ドイツまで来て、やっと「寄り添う」意味を再定義できた気がします。

 

DOからBEへ

私たちが終末期やご遺族の方にできることの一つは、「あなたは大切な存在ですよ」と伝えることです。

それは言葉だけではなく、思いやりのある態度からも伝わるものだと思います。

体が動かなくなった時、人生に価値はないと感じるか。老いや病や死を前にして、
体が動かなくなっても自分は価値ある存在だと思えるか。

そしてそれは、やがて自分自身に問われることでもあります。

グリーフケアは人生でもっとも重要な課題と向き合う本当に大きくて深い取り組みだ
と感じています。

グリーフケアしかり、スピリチュアルケアしかり、私たちの人生では、DOではなく
BEに価値がおけるようになることが一人一人が向き合うべき最後の課題なのかもしれません。

あなたは自分を価値ある存在だと心からいえるでしょうか。

日本グリーフ専門士協会 井手敏郞

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井手 敏郎(いで としろう)

井手 敏郎(いで としろう)

日本グリーフ専門士協会の代表理事。 全国各地で現場で使える実践的なグリーフケアの技術を教える講義を行っている。 アドラー心理学やユングの分析心理学、フロイトの精神分析などの他、国内外のコーチング、カウンセリングやヒプノセラピーなどについても学んでいる。現在はカルフォルニア臨床心理大学院で臨床心理の研究を行う。

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