グリーフのスパイラル:一次感情の哀しみは常に中心にある

大切な人を失った時、私達はどのような心境に見舞われるでしょうか?喪失による悲嘆や反応をグリーフと言い、喪失悲嘆による哀しみを抱えた人への支援をグリーフケアと言います。グリーフケアにおいては、喪失悲嘆によって引き起こる心の状態に気づくことがまず大切です。

日本グリーフ専門士協会がお伝えしている喪失悲嘆のモデルを「グリーフスパイラル」と呼びます。喪失による悲嘆の根底には「哀しみ」があります。この哀しみを一次感情として、「混乱」「否認」「怒り」「抑うつ」「諦め」「転換」「再生」の7つの局面があります。

喪失悲嘆による「哀しみ」は、多くの場合、痛みとして和らぐことはあっても、消えることはありません。どのような感情に見舞われていても、この「哀しみ」が心の奥にあります。その真実を忘れることなく、どんな時にも哀しみがあることを心に留めて支援にあたることが求められます。

これまで「混乱」「否認」「怒り」「抑うつ」の局面について解説してきました。前回はグリーフスパイラルのうち、「抑うつ」について取り上げました。今回はグリーフにおける「抑うつ」にどう関わるかについて見ていきましょう。

グリーフによる「抑うつ」を過ごすヒント

1) 周りから距離を置いてもよい

愛する人、大切な人を失うという衝撃の事実を受け入れることは容易ではありません。心身の回復のためには十分な時間と静かな場所が必要です。そのために、どんな関係性であれ、自分自身が「今は離れたい」と感じる相手とは距離をとってもいいのです。

具体的には、昔ながらの親友、親戚づきあい、近所づきあいやサークル活動、会社の上司や同僚とのやりとりが、グリーフの「抑うつ」の局面で負担に感じることが多いようです。

周囲の人が元気づけようとかけたはずの一言により、グリーフを抱えたその人が深く傷つくことが往々にしてあります。最も深い悲嘆にある中で受けた心の傷は、その後の関係性に長く禍根を残しかねません。

2) エネルギーを蓄える時期である

大切な人を死別で失うということは、その人自身にとって欠かせないものを奪われる大きな喪失体験です。半年や一年の休養期間があっても、まったくおかしくありません。必要なだけ心身を休ませることがとても重要です。

抑うつ状態は心身に大きな負荷がかかったり、激しいストレスに晒され多大な精神エネルギーを消耗した後におとずれる、当然の結果とも言えます。「今は枯渇してしまった生きぬくための力を蓄える時期である」とふまえ、無理は避け出来るだけ楽に過ごせる環境を整えましょう。

3) 今日1日と思って過ごす

日本には昔から、時薬(ときぐすり)や日にち薬(ひにちぐすり)といった言葉があります。「病気や心の傷が癒えるにはある程度時間がかかることがある」「時間にしか癒せないものもある」というような意味合いで使われることが多いようです。

死別に伴う深い喪失悲嘆は、たしかに回復までにある程度の時間を必要とします。一方で「時間が必ず何らかの癒しを与えてくれる」「今の苦悩は永遠にこのまま続くものではない」との見方を持つ人もあります。

たとえようのない辛さが続く時期にも「この苦しみにも必ず終わりがくると信じることでいくらか気持ちが楽になった」と言われる方が多くあります。「今日の1日を生きることで苦しい日が1日減る」と考え、この日を生き抜いた自分自身をいたわりましょう。

4) 生活をシンプルにする

可能な限り、生活をシンプルにしていきましょう。ある程度、気持ちが落ち着いてきたならば、故人との思い出の品を一つ一つ整理整頓していくことが、心の整理を促進することもあるようです。

また故人を介して繋がっていた人間関係も、少しずつ見直すことが多くなります。年数が経るにつれ、故人を偲ぶ目的で関係者が一同に会する機会はだんだんと減っていきます。故人とは関連がなかった対人関係も含めて、物的環境、人的環境ともに、できる限りシンプルに整えていきましょう。

シンプルにしていく過程は楽ではないかも知れませんが、「自分自身をまずは労わりケアすることが先決」という指針を大切に、無理や無駄をできるだけ省きつつ心身の回復力を養っていいのです。

事例:突然の病から、最愛の妻を自宅で看取った後に

次に長年連れ添った奥様をご自宅で看病し看取られた男性の体験談紹介します。

Yさんは、銀行・投資関連で活躍し続けたサラリーマンでした。仕事の激務や対人関係の難しさから、心理的に負担の多い日々であったそうです。そんな中、長年苦楽を共にしてきた伴侶に、病が宣告されました。

他に応援を頼むことができないままにつきっきりで看病し、Yさんの心身は日に日に消耗していきました。それでも病床の妻にとってより効果の見込める最新治療を求めセカンドオピニオンも受けたそうです。

多角的な治療アプローチを必死に探し求め実施したにも関わらず、病状は少しずつ悪化の一途をたどりました。目まぐるしく過酷な看病生活の中で、もっともYさんを苦しめたのは「妻の痛みをどうにもしてあげられない」やるせなさであったと言います。

「この状態では痛みが出るのは当たり前」という説明を主治医から受けた際には、心が深く傷つき折れそうになりました。患者の苦痛や家族の苦悩を緩和することよりも、病態の管理に重きをおく治療方針に違和感を感じ、何度も転院を考えたそうです。

「もはや手の施しようがない」として、緩和病棟への移ることを提案された際、Yさんは「もう何ともならないならせめて、慣れ親しんだ大好きな自宅で過ごさせてやりたい」」と在宅介護へと踏み切りました。

Yさんご夫妻にはお子さんもありましたが、すでに成人され遠方で就職されていました。また長らく企業戦士としての生活を強いられてきたYさんには、近所づきあいの経験もなく、地域社会との接点が乏しいままの介護生活は孤独で、不安や苦労が絶えなかったようです。

自宅に戻ってからの奥様は、心理的な満足・安心感もあってか、病院にいた頃よりもずっと痛みは軽減した様子でした。とはいえ病状は確実に進行し、自宅での医療処置もますます増えていく中、Yさんの体力は限界に達していきました。そんな心身の疲労が極限状態に至った頃、奥様は静かに息を引き取られたのです。

看取りも覚悟に入れた在宅介護であったものの、やはり実際に死別を迎えたYさんのショックは相当なものでした。「もしかしたら助かるのでは?」の希望が心のどこかには常にあり、それが完全に絶たれてしまったことで、どうにも立ち直ることができない心境に追い詰められたそうです。

元来、他人に弱みを見せることは不得手なYさんは、行き場のない想いを誰にぶつけることもできず、ただただ最愛の妻との別離に打ちひしがれ、深い抑うつ状態へと沈んでいきました。

それまでつきっきりで看病に打ち込んでいただけに、奥様が亡くなってからのYさんは放心状態に陥りました。在宅ケアに関わってきたスタッフから「本当にここまでよくやり通されましたね」と声をかけられると、落涙せずにはいられなかったそうです。

また誰かしらが妻の死を心から悲しんでくれていると感じると、Yさん自身も涙が溢れ出てどうにも止まらない日々が続きました。当時をふりかえるにYさんは、「一緒にケアをしてきた人たちが、人として妻の死を悲しんでくれたことがとても嬉しかった」と語っておられました。

亡くなってしばらくは人の出入りがあったものの、日が経つにつれだんだんと訪問客は減っていきます。次第にYさんは誰とも会話することなく、ぼんやりと1日が過ごすことが多くなりました。

そんな中もっとも困った問題は、日々の食事支度です。妻が存命中は24時間介護を1人でこなす使命感から、食事だけはどうにか無理やりにでも口にしてきました。ところが、妻を失ってからは食欲すら感じなくなってしまいました。

もともと仕事が忙しかったYさんには、家事をこなす習慣はほぼありませんでした。また元気だった頃の妻を思い出しやすい台所は、Yさんにとっては切なく胸が締め付けられる想いに駆られる場でもあったようです。

近所に買い物に行くにも「他の家族や夫婦が楽しげにする姿を見るのが辛い」「いろいろな人から声をかけられる。応じるにもしんどい」等、様々な要因が重なり、自宅に引きこもることが多くなりました。

そんな中でも次第に「自分のこの姿を妻がみたらどう思うだろうか?」と考えるようになったそうです。慣れ親しんだ自宅の光景の中に、妻の面影を懐かしく感じるようになった頃、「妻の作ったあの肉じゃがが食べたい」と思い立ちました。

慣れない調理にも「妻の味を再現させたい」気持ちから、少しずつ取り組むようになったYさんは、少しずつ気持ちが前向きになっていきました。すべてを自炊するほどの気力はなくても、外食や買い物の際には、妻が得意であったメニューを自然と選ぶようになり、食への意欲も取り戻していきました。

抑うつ状態にある時に支えになる対応

1)孤独な心に寄り添う、非言語的コミュニケーション

Yさんがとくに支えられたと感じたのは、妻との死別を心から共に悲しんでくれた在宅訪問のスタッフの姿であったそうです。気の利いた美辞麗句でお悔やみを並べられるよりも、言葉にならない思いを態度で示してくれたことが、とてもありがたかったと言います。

グリーフケアにおいては言語よりも非言語的なコミュニケーションの方がより、「痛みに出来るだけ寄り添いたい」という気持ちを誤解なく伝えることができることが多いように実感します。「御愁傷様でした」「お悔やみ申し上げます」「心中お察し申し上げます」等、一般に広く流用される常套句は時に「口先だけで」というドライな印象を与えかねません。

言葉じりが丁寧であることや社会的な儀礼に準じていることよりも「人として痛みを共有している」実感が伝わることがより、支えられる側と支える側の連帯感を強めます。

専門職が病院や施設で涙を見せることは、場所とタイミングをわきまえなければならないことが多いです。ですが在宅での看取りであるならば、別れを悼む気持ちを素直に表現した方が双方にとって気持ちが癒されるように私は感じます。

かける言葉が何も見つからなくても、ただ「手を握る」「肩を抱く」「背中をさする」などで十分、その気持ちは伝わります。「どう言葉をかけたらいいかわからない」と悩むあまり、大切に想い関わってきたことを伝えらえないのは残念なことです。

「言葉を尽くすよりも、言葉以外の態度で気持ちを伝える」グリーフケアにおいては特に大切な心得のひとつであると実感します。

2)本人の体調や安否をさりげなく気遣う心配り

人によってまた時期によって、故人との思い出話や、闘病時の記憶を遡ることに負担を感じられることがあります。できれば少しでも、気持ちが穏やかに健やかに過ごせる方向に整えてさしあげる、それが抑うつ時の最優先課題です。

何をどのように振り返りたいかは本人に任せた方が無難です。聴き手は、話してもいい、話さなくてもいいという態度が大切です。体調などを気遣いつつ「何かお力になれることはありますか?」と相手のニーズや意向を伺う姿勢がより求められる時期でしょう。とくに何もリクエストがなくても「ただ側にいる」ことで力になれることもあります。 

Yさんのように、介護・看病生活の最中は自分のことまで手が回らず、死別後はさらに自分のことに全く関心すら持てなくなることが、死別による喪失悲嘆当事者にはあり得ます。だからこそ、周囲の人が本人自身のことを気にかけ、配慮していくことが必要です。

また専門職として関わった場合には「故人を共に見送った同志としてこれからも支援し続けますよ」というスタンスも伝えていくことも有効でしょう。

「きちんと食事はとれていますか?」「また痩せたのでは⁉︎」と言った、指導的かつ指示的な態度ではかえって相手を傷つけてしまう怖れがあります。あくまでも相手の体調を案じる思いやりある態度を意識しましょう。

3)本人が話したいことを自由に話せる「敬聴」姿勢

こちらから過去のことを根掘り葉掘り聞き出すことは避けた方が良いですが、ご本人が自発的にお話し下さる話には、丁寧に耳を傾けましょう。

人は「話すテーマ」を自分自身で自由に選んで話す時、もっとも思う存分に語ることができます。抑うつ状態にある際には、悩みや不安などの深刻なテーマで話されることがどうしても多くなり、聴く側も心が重く感じることがあるかも知れません。

どのような話であれ、相手がこれまで大変な努力を払って乗り越えてこられた人生の軌跡に敬意を払う姿勢はとても大事です。同じ人間としてしっかりとその言葉に耳を傾けたなら、次第にその辛さはだんだんと癒えていく効果もあります。

「灯の見えない、未来に展望が望めない話を延々と聴いてきた。もうこの人はここからは一生抜け出せないのではないか?と思っていた矢先に、突然吹っ切れたように故人との思い出話を懐かしげに語られるようになった」という支援者の声を聞きました。

このような兆しや変化を、グリーフケアの実践の場で目の当たりにすることが少なくありません。しかしエネルギーが枯渇しているタイミングであることを心に留めて無理をさせない。何れにしても、大変な中ここまでこられた方の立ち直る力を信じて向き合うことが、グリーフ支援では大切だと実感します。

 

<追記>

ひき続き、グリーフケア研修をWEBで体験できるWEBグリーフケア入門講座を無料で実施しています。興味・関心のある方はぜひ、下記URLをクリックしてみてください。(日程スケジュールについて、くわしく表示案内しております)

WEBグリーフケア入門講座のご案内

The following two tabs change content below.
前川 美幸(まえかわ みゆき)

前川 美幸(まえかわ みゆき)

日本グリーフ専門士協会理事。老人保健施設での介護支援専門員、訪問看護ステーションの立ち上げを経て、現在は終末期医療に従事。看護・介護の現場の両面からグリーフケアを伝えている。日総研出版『達人ケアマネ』に2017年6月から2018年6月にかけ、グリーフケアに関する連載を担当。