6434人もの尊い命が犠牲となった阪神・淡路大震災から25年目の今日を迎えました。1995年(平成7年)1月17日早朝に明石海峡を震源として発生した大地震は、戦後の日本においては東日本大震災に次いでもっとも被害が甚大でした。

「年数が経ったのだから心の傷は癒えているはず」と思いながらも、今なお大切な存在を失った哀しみにどう向かいあえばいいか、葛藤の渦中にある人も少なくないそうです。深く愛し必要としていたからこそ湧き起こる喪失悲嘆は、年数と共に和らぐことがあっても完全に消失することはないものなのかも知れません。

もちろん「ときぐすり」と言われるように、時間の経過にともなって心の重荷や痛手がいくらか軽減していく実感は、どのようなケースにもみられる傾向と言えるでしょう。とはいえ、大切な存在を失ったことによる哀しみや痛みがゼロになる日は、生きている限りは誰にもなかなか訪れるものではないようにも感じます。

もし生きていれば今頃は…を節目ごとに想う。

 
阪神・淡路大震災においては特に被害が激しかったのは、住宅が密集していた神戸地区であったそうです。当時はまだ多くの大学生が木造アパートに下宿していました。親元を離れ一人暮らししていたところを思いがけない対面を果たして以来、この1月17日を迎えるたび「もし生きていれば今頃は…」とかみしめて過ごす方がどれだけあるかわかりません。 
かわいい孫、大切な親、かけがえのない恋人、長年来の親友、等々。この世ではもう二度と会うことが叶わない愛すべき誰かを想い、今日の一瞬を特別な気持ちで過ごしている人が今この瞬間にもたくさんあります。その事実を忘れず、今、一緒に過ごすことができる大切な誰かを大事にする。毎年欠かさず開催されてきた祭典である神戸ルミナリエは、そうした祈りも込めて足を運ぶ方も多いだろうと感じました。

喪失悲嘆による心身の影響には個人差がある

大切な存在を事故や災害で突然亡くした場合、似たような状況下を見たり聞いたりするだけで動揺したり、身体的な拒否反応が引き起こったりすることが誰にも起こりえます。そしてそのような反応がどのようにどれほど起こり、いつまで続くのか?については、その人によってひとりひとり違います。  
 
「こんな風にどうにもいられないほどに打ちひしがれる自分はおかしいのではないだろうか?」「いつまでもこんな症状が続くのは恥ずかしい」「以前ほどには気持ちが揺れなくなったが、こんな風に平気になっていくなんて自分は薄情なのではないだろうか?」 
 
はかり知れない悲しみや苦悩、持って行き場のない様々な葛藤や怒り、やりきれなさとそれらによって引き起こるいろいろな反応がある。そしてそれによって自分を責めてしまったり不安を募らせたりすることは、大切な存在を失ったならば誰にも起こりえる現実です。
 
・以前なら気にもとめなかった些細なことが気になって仕方がない
・他人から見てどうしてそこまで?と思うほど、何度も確認せずにはいられない
・ちょっとした物音にビクッとしたり、夜中に何度も飛び起きてしまう
・何気ないことで動揺し、その度に感情の起伏が激しく、コントロールしがたい
・気づいたらハラハラと落涙していることが時にある
・特定のワードや光景に激しく反応し、体が震えたり緊張で動かなくなる
 
等々、あげればきりがないほどにその人なりの反応が様々にあらわれます。自分でもおかしいと感じ、何とかしたいと思うのに、なかなか解消することができない。自分は異常なのではないだろうか?と思い悩むことがありますが、多くは喪失悲嘆にともなう自然な反応の範疇であり、時間の経過と共に徐々に緩和されていくことがほとんどです。 
 
こうした反応は「自分自身が事故や災害で何らかの恐怖体験を味わう」「実際に甚大な被害を受ける」などを体験した場合にも、根強く残ることがあります。まして、大切な人との死別や離別が伴えばなおさら、それらの反応は形を変え、長く深く続くこともありえます。

事例1:身体的な反応の激しさは年々おさまるけれど…

かつて地震で家財が倒れ、自分は九死に一生を得たものの、隣で寝ていた夫は即死状態だった女性がいました。ちょっとした程度の揺れでも、あの日あの時の場面が瞬時に想起され、体は震え気を失いそうになるほどのショックを全身で感じたと言います。そのような反応が起きることは決して珍しくありません。 
 
そして年月をかけて徐々に、心身の反応はだんだんと落ち着いていきました。飛び起きたり冷や汗をかいたり悪夢にうなされたりといった目に見えて目立つ反応は、今では回数も頻度もごくたまに起こる程度です。 
 
とは言え人によっては、どことなく疲れがとれない、いつまでも熟睡できないといった状態が長らく続いてしまうことがあります。そしてそれがグリーフを背景とする不安からよるものであっても、多くはその原因として見過ごされてしまうことが多いです。 
 
加齢に伴う不調、日常のストレスによる不眠は、現代人の多くが慢性的に抱えるものです。それらと混同され、原因があいまいなままに睡眠薬や軽度の抗不安薬が処方され、症状の改善も見込めないままに長期的な服用を余儀なくされるケースもあります。
 
もしかしたら私のこの症状は、長年直面することを恐れてきた喪失悲嘆感情にあるのかも知れない。もしそのような心当たりがある場合は、グリーフをケアする取組み、たとえばそれについて語る機会を安全に設けてみるなどが何かしらの突破口につながる可能性もあります。まずはかかりつけの主治医がある場合はその旨を相談し、メンタルケアに関わるサポートを受けたり、行政や地域が開催しているグリーフケアの集まりに足を運ばれたりすることも一助となるのでは、と感じました。

事例2:慢性的な疲労感や不眠の背景にあるグリーフ

「ふと思い返せばあの日以来一度も、熟睡できたことがまったくない気がします…」阪神淡路大震災で夫と子供を一度に失ったある女性で、このように仰る方がありました。  
 
「朝、あの揺れに叩き起こされた途端、世界が一変していて、自分の大切な家族も家も、何もかもが一瞬でなくなってしまった。それを思うと夜、眠るのが怖くて仕方がない。なかなか寝付けず、やっとウトウトできても、ふとした刺激で目が覚めてしまう」「悪夢にうなされる、なんどもあの日の光景が夢に出てくる等の反応は今ではもう少なくなったけれど…ぐっすり眠る、という感覚がもはや思い出せないほどに、もう長い間、安眠できていない」とのことでした。 
 
日常的な不安が希死念慮につながることも…
 
災害や事故に限らず、病死であっても、あるいは死別以外のグリーフであっても、「日常的に不安を感じる」反応がまるで後遺症のように長引く方が少なからずあります。 とりわけまだ幼いお子さんを亡くした場合や、長年連れ添った、あるいはまだ一緒になってまもない配偶者を失った場合に、長期的な不安や罪の意識に苛まれる場合が少なくありません。
 
『自分がもっと注意していれば、もっと気にかけていたならば死なずにすんだかも知れない』というような自責の念が罪悪感となって重く心にのしかかり、「自分はダメな人間だ」「何の役にも立てない」「生きていても仕方がない」等の自己否定的な心の声に翻弄されてしまうと、自らの判断に自信が持てなくなります。そのような状態が長引けば長引くほど、やがて日常生活のあらゆる場面で不安を感じるようになってしまうでしょう。
 
そして実際、自信の持てない状態で実施した取り組みが失敗に終わってしまうとますます自己肯定感が低くなり、精神的にも社会的にも孤独に陥りやすくなってしまうのです。自分の存在意義が肯定できない状態が続くと、慢性的な希死念慮に囚われてしまうリスクさえあります。

自身の健康管理がずさんになり、命を縮めてしまう。

死別直後は「いっそ一緒に死んでしまいたい」という想いに駆られ、実際に衝動的に後を追いたくなる心境に追い込まれる場合も少なくありません。多くの場合思いとどまることができますが、それでも心の中でどこか「自分は生きる価値がない」と思い続ける心理状態から脱することができない人もあります。 
 
その結果、長年に渡り自身の健康管理が極めてずさんになってしまうこともあります。食べるものも食べなかったり、あるいは暴飲暴食に走ったり、お酒やタバコ、またはギャンブルに依存したり等、不健康で不健全な生活習慣が長引いたあげく、本来ならもっと生き延びたはずの余命を多く残した状態で、この世を去ってしまう方もゼロではありません。
 
死別してからわずか数年で、見送った側の方がお亡くなりになるケースに私も何度か看護師として遭遇したことがあります。「早くあの世で会いたい」とおっしゃっていた場面を思い出され、何とも言えない心地がしました。
 

慢性的な不安から抜け出して、自分らしい生を全うする 

では慢性的な不安から抜け出し、本来のその人らしい生を全うするためには何が必要となるのでしょうか?

1)自分の現状を俯瞰的に把握する

まず一つには、自分が今、陥っている状態を知ることが大切です。現時点でどのような感情を抱え、どのような心理状態にあるのか。何に恐れを抱き、何に不安を感じ、どのようなことに腹立ち、怒りを覚え、絶望しているのか。何をあきらめ、手放し、何から解放されたいのか?自分自身の心の状態に向き合い、少し離れた視点から俯瞰的に見ることで、新たな知見が得られ、それが不安の解消に繋がることが多々あります。 
 
とは言え、自分だけの力で自分の状況を正確に把握することは、どんな人も困難です。とくに大切な存在を死別で失うという、深刻な喪失悲嘆の直後はなおさらです。 自分ではどうにもならないほどの圧倒的な喪失感、悲嘆、断絶感、絶望にうちひしがれている時には、周りで何が起きているのかすら把握することができません。自分自身のことですら何がどうなっているのかわからず、混乱の真っ只中にあります。 
 
そんな時は信頼できる誰かの助けを借りたり、あるいは場合によっては専門家の支援を受けつつ、自分の置かれている現状をできる限り知ることが先決です。何がどのように現実問題としてあり、それをどのように解決することができるか?客観的な視点を得て優先順位に配慮しながら、ひとつひとつ実現可能なものから処理していくことが重要です。 
 
何か漠然とした不安を抱えながらも結局は、それに対して何もなす術がない。そうした状況で人はもっとも不安を煽られ、不安が不安を呼びますます泥沼化することが往々にしてあります。まずは自分がどのような状態にあるのかを知ること、とはいえ自分自身でそれができないのがグリーフの状態であることをふまえ、的確な援助や支援を受けて現状の把握に努めることが、不安解消のための第一歩といえます。

2)自分のこれからの行く末を知る(予測する)

長期的な不安につきまとわれることなく、自分らしい人生を取り戻す上で大切なことはもう一つあります。それは自分の向かう先がわかることです。先がわからなければ、漠然とした不安がよぎるのは当然です。次に起きる可能性がある感情や状態を知っていることは、不安を解消する上で絶大な効果を発揮します。私たちは行き先や行く末が分からないからこそ、漠然とした不安が胸中を駆け巡るものだからです。
 
自分はこのまま一体どうなってしまうのか?いつになれば本来の自分を取り戻すことができるのか?まったく元通りには戻れなくても、どれぐらいまで元の生活を取り戻すことができるのか?先のことがある程度明確になれば、現時点がすべてを失ったとしか思えなくても、今が極めてどうにもつらい状況であっても、小さな希望を胸に抱くことができます。
 
混乱、否定、抑うつ等々、グリーフにおける心理過程を知っておくことは、自身がグリーフを抱えた際にも大きな心の支えになります。支援する側としてどのような心理的局面が引き起こるのか、を知っておくことはとても大事です。そして同時に誰もがその人生の中で喪失悲嘆の当事者にいつかなります。「人生は喪失の連続である」現実は、どんな人にとってもいずれ対峙する避けられない人生の課題です。
 
 
「死別による喪失悲嘆」は、人類がこの世に誕生してよりずっと共存してきた課題です。人類のみならず生命あるものにとって、切っても切り離すことができない、誰にも何者にも平等に訪れる、避けようがない現実問題です。これまでにおびただしい数の生命がこの世に誕生し、先逝く者を見送るという業が何度となく何世代にもわたって繰り返されての「今」があります。 
 
誰もが何らかのその人なりの様々な喪失悲嘆からの再生を経て、その人生を生き、いずれ自分自身もこの世から去っていくという歴史を私達の祖先は繰り返してきました。そして私達もまたその歴史を紡ぐ一端となるー人類の生と死の営みという視点に立ってみると、自分が今対面しているグリーフにも何らかの行く末があるはずであるという予測を立てることができます。
そしてそのような予測がつく、行く末についてある程度のその人なりの道筋が立つことが不安の軽減に大きく役立ちます。
 

支援者として、できること。

混乱や怒り、否認、抑うつ、の局面を何度となく味わいながらも、もうどうあっても、どう足掻こうとも二度と生きてはこの世で会うことが叶わない。そのような諦めの境地に立つ時は少なからず、自分の人生のみならず、自分以外のありとあらゆる生と死について目を向ける段階に至る人が多いように私は感じています。 そうなるように仕向けることはできませんが、個人差はありながらもやがて誰もがいずれ、自然とそうなるように人生が流れていく過程をこれまで何度となくみてきました。
 
不安の解消は最終的には本人の自助努力によるところが大きいです。ですがその一方で、支援者の「目の前のその人が持つ回復力や可能性をどこまでも信じる」在り方は、大きな影響力を発揮します。言葉や行動でどうにか動かそうとしたり、具体的なアドバイスや助言で引っ張るのではなく、ただただそのそばに寄り添って、相手の痛みに寄り添う。年数を経ると今更話せない、同じ話をするのは周りに迷惑になるのではと考える人も多いため、いつでも何度でもどのような気持ちも話せる関係があること自体が不安や心の痛みの軽減に大いに役立ちます。
 
ここまで記したように災害時の不安は多くの場合、自然な反応であることがほとんどです。その点で、安易に抗不安薬などに頼る前に、自分の気持ちを打ち明けられる場があることは重要です。悲嘆時に起きる反応や支援の在り方(グリーフケア )を詳しく学ぶことも心の支えになるでしょう。 
 
しかし、食事や睡眠がとれない状態が長く続いたり、希死念慮が強く、生命の危険を感じる場合や、繰り返される反応でご本人の生活機能が困難に陥り、大きな苦痛を抱えているケースも少なくありません。その際は、災害時のさまさまな反応が自然なものと伝えつつも、支援者として自分の限界をわきまえて、心得のある専門家への相談や医療機関へ繋げる(勧める)ことも忘れてはならない視点です。
 

編集後記

現在、日本グリーフ専門士協会では、死別・離別のWEBわかちあいの会をオンラインにて無料開催しています。必要とされる方とWeb上でお会いできましたら幸いです。詳しい案内およびお申し込みは下記のリンク先をご参照ください。
 
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前川 美幸(まえかわ みゆき)
日本グリーフ専門士協会理事。病棟看護師、介護支援専門員、訪問看護ステーションの立ち上げを経て、オンラインおよび対面でのグリーフケアサロン、個人カウンセリング、グループセッション、病院・介護施設研修に従事。日総研出版『達人ケアマネ』に2017年6月から1年間『ケアマネジャーが知っておきたい家族ケア・グリーフケア』の連載記事を担当。