こんにちは。新人グリーフ専門士、寿月です。
オリンピックがはじまっておりますね。こんなご時勢ですので、賛成反対含め、いろんな意見が出て当然かと思います。あらゆる情報が簡単に入手できてしまうこの時代は、便利な反面、それらに振り回され、気持ちが揺れ動くことも多いのではないでしょうか。
華やかな催しが開催される一方で、閉塞的な状況に適応していくことが求められている。そんな中で自分を整えていくことは、誰にとっても難しさがあるだろうと想像しますが、特に哀しみを抱えた方々は孤独を感じやすくなっているかもしれません。気持ちが落ちたり揺らいだりしても、そんな自分を否定せずにいてくださることを願っています。

それでは今日も、書き進めてまいりますね。

入門講座に参加して

夫の死から数か月後、私は当協会の入門講座を受講しました。
はじめてのわかちあいの会のすぐ後に、意気揚々と申し込んだのは以前の記事で述べましたが、そこから約一月の間がありまして、冷静になったというのか我に返ったというのか、自分がとんでもないことをしでかしたみたいな気持ちになる日もありました。誰とも会わない、話さない日が続いていましたし、心も身体も乱高下している中なので、緊張もすごかった。申し込んだのは夜の講座だったのですが、その日一日は、逃げたい気持ちと葛藤しながら過ごしました。

講師は協会の井手代表でした。
わかちあいの会の時と同様に、画面に映る私の顔はこわばっています。逃げようかどうしようかギリギリまで悩んでいながらも、同時に気負いもあって、「私はグリーフの当事者ではなく、支援者を目指すものとして参加していますよ!」と身構えていたのです。
協会の理念や活動などの説明があり、代表含めての自己紹介からはじまりました。参加者は4名ほどでしたか、それぞれが現在のお仕事や、講座に関心を持った動機などを話していきます。
皆さんとても堅実で、ブレがなく、学びをどう活かしていきたいかまで明確なように、私からは見えました。それに比べて自分は、働いてもいないし、緊張や震えを隠しながらこの場に留まっているだけで精一杯。座っていることだって、2時間もつかどうかわからなくて、それを試すつもりもあっての参加なのです。
正直、圧倒されていました。場違いなところにいるように思えた。「周りと比べない」と言うのは簡単ですが、弱っている時にはそれがなかなか難しいものです。社会との隔たりがはっきりしたように感じられ、気負いは、徐々に気おくれへと変化していったのです。

あらためてお伝えしておきたいのですが、入門講座には、参加するための条件などはありません。つまり、死別直後であることや働いていないことを弱みに感じ、気負ったり気おくれしているのは私自身であり、他の参加者がどうこうということではないのです。普段なら気にしないようなことが気になったり、光と影のコントラストを強く感じたのは、私の視野や、考えの幅が狭く狭くなっていたからだと思います。ありのままの自分でいることを良しとできていなくて、ボロボロの鎧で武装して立ち向かおうとしている。
いったい何に立ち向かおうとしていたのでしょうか。
今振り返ってみれば、運命のようなものを相手にしていたのかなと思います。否応なしに襲ってきた現実(夫との死別)に翻弄されつつ、飲み込まれまいとしている。表面だけでもいいから、必死に取り繕おうとしている。私は大丈夫、と。

講座の内容に入りましょう。まずは、グリーフとは何か。
『喪失体験による悲嘆とその反応』と言ってもよくわからない。ですから喪失体験とはどういうものを指すか、ということから紐解いていくのです。このブログでもいつか記事にしたいと思っていますが、死別や離別以外にも、喪失体験は様々にあります。「人生はグリーフの連続」であることを、たくさんの例をあげながら説明いただきました。
そして一つの体験に、何重にも喪失が重なっている場合があること。たとえば父親を失った子どもにとってのその経験は、果たして「父親のみ」を失ったということだろうか。災害で家を失った方は「家という物」を失っただけなのか。
目の前にある体験だけを見ていくのではなく、その奥にある喪失をも踏まえて支援していくことが重要なのだと教わります。

「悲嘆とその反応」として、心や身体に起こりうることにも触れていきました。グリーフスパイラルという協会独自の概念を図にしたものを使っての説明なのですが、自分の状況と照らし合わせながら聴いていると、今いるらしい場所やここまでの道筋、そしてこの先どのような変化が予測されるかがなんとなーく見えてくる。
それまでは道案内のない暗闇をひたすら這いずっていたような感覚でしたが、そこに小さな灯りがともったように思えました。

簡単なワークもありました。過去や未来、社会や家族などとのつながりについて、自分がどう感じているかを視覚化するものです。支援者自身が自分の状態を知り、向き合っていくことの重要性。そして、それができないままで支援に関わる危うさなどもお話いただきました。
以前にも書きましたが、グリーフケアを学ぶにおいて、死別からある程度年数が経っていることを条件にしている団体も多いです。人の繊細な部分に寄り添うことを目指すわけですから、ある程度自分が整っていなければ、学ぶことすらはじめられないということなのか。私のように、やる気はあっても、自分のグリーフとの向き合い方もわからない場合は、その年数をどうやり過ごせばいいのでしょう。

講座の最後に、私はそのあたりのことを、思い切って井手代表に質問しました。
その時の、代表の答えはこのようなものでした。

「確かに、グリーフケアを学ぶ団体の中には、死別からある程度年数が経っていることを条件としているところもあり、そこを考慮して学びを勧める意味もよくわかります。自分の状況や状態と向き合わざるをえないですから、傷つく方もいるのです。だから状況によっては期間を設けることは必要であり、よくよく考えられてのことだと思います。
ですが経験から、グリーフケアの知識そのものが、悲嘆の只中にいる方の支えになるとも感じてきました。適切なファシリテーションやサポートがあれば、共に学ぶグループの中に、当事者と支援を目指すものが共存することは可能であり、むしろお互いにとって、とても大事な経験になり得ると、私は信じているのです。それらを踏まえて、どうかご無理のない範囲でご検討ください。お待ちしています」

実はこの記事を書くにあたって、今一度、井手代表にお話を伺いました。私にとって、そして受講を迷われている方にとって、とても大切な部分だと思ったからです。
今回伺ったものから付け加えさせていただきます。

「学ぶタイミングを決めるのはご本人です。受講を希望される方の状況によっては直接お話させていただき、考えうるメリットデメリットを率直にお伝えし、判断していただくこともある。医師の指示を仰ぐ必要を感じ、そのようにお伝えさせていただく場合もありました。悲嘆を抱えた方がグループで学習するうえでの課題を踏まえながら、学びの場であると共に、哀しみをやわらげるグリーフケア的な時間にもなればと思っています」

様々に気持ちが揺れた2時間を終え、代表の考えも伺い、私はグリーフ専門士ベーシック講座に申し込むことを決意しました。どこまでいけるかわからないけれど、自分にとっては、このどうしようもなくやるせない状態から学びはじめることこそに意味があると思えたのです。
なんとか2時間座っていられたし、内容も頭に入ってきた。ノートもとれた。そんな些細なことで胸を撫でおろしている今の自分を、他の受講者と共有できるのだとしたら、そしてそれが双方にとって大切な学びになり得るとしたら、幸せなことだと思いました。

グリーフの渦中にありながら支援者を目指すのは、やはりある程度の覚悟が必要かもしれません。ですが、2時間座っていられるかもわからなかった私が、今ここで自分の経験を書かせていただいている。
そして今でも私は、自分がグリーフの只中にあることを自覚しています。学び進める中で、そして生きていく中で、次から次に課題が出てくる。向き合うのには勇気がいるし、蓋をしようとする自分もいます。焦ったり躓いたり、転んだりしています。それでもいろんなつながりに助けられながら、そして模索しながら今日も歩いているのです。

入門講座は、グリーフとはどういうものかを言葉としてわかりやすく知る機会であり、協会の考え方にも触れ、自分に合うか合わないかを見極める場にもなるでしょう。
無料とはいえ、大切にしている部分をお伝えする、内容の濃い講座となっております。
ご無理のない範囲で、参加をご検討いただければ幸いです。

編集後記

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。暑い日が続いています。喉が渇いたと自覚する前に、こまめな水分補給を心掛けていきましょう。

日本グリーフ専門士協会ではわかちあいの会(グリーフサロン)(死別・離別)を無料開催しており、全国どこからでもご参加いただけます。お申込みいただきましたら、zoom(オンライン会議システム)の使い方等詳しく案内させていただきますのでご安心ください。

また、グリーフケアを学ぶ第一歩WEBグリーフケア・ペットロスケア入門講座も無料で開講しています。支援者として活動したい方はもちろんのこと、グリーフの渦中におられる方にもご参加頂いております。今のご自分の状態を、少し客観視できるようになるかもしれません。私もここから学びをはじめました。